2009年12月31日 (木)

一年の終わりに・・・ありがとう

例年になく不況の嵐は、その勢力を衰えさせることなく、吹き荒れた感の一年でしたね。
おかげさまで当ブログも若干のペースダウンは否めないものの、387編の記事をアップして、2009年が暮れてゆこうとしています。

年々、厳しさを肌で感じるようになりましたが、皆様に見守られ、どうにか毎日を明るく笑って過ごせたように思います。

来年は当ブログも少しお色直しをして、出直したいと思っています(メカに弱い人ですから、一体いつになるやら・・・)。

どうぞ、皆様、来たる新年が明るく穏やかな一年でありますように。
ご用とお急ぎでない方はたまにふらっとお立ち寄りください。できれば、ぽちっとコメントなど入れていただければ、すごく張り切ります。

一年の終わりには、やっぱりこれしか浮かびません。

ありがとう。

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2009年8月27日 (木)

今日のお客さまはクロネコさん

・・・って言うか、正確に言うと、クロネコのお兄さんが抱えてきてくれた。

送り主は、二十歳前のお嬢さん。
「え~~~~っ?おみやげ?もちかちて・・・」。

当たりです。
この夏、カナダに短期留学していたKちゃんからの贈り物です。

ダークのメープルシロップ。
しかも、見たこともない大瓶。こんなに贅沢に使える悦び。

サーモンのパテはよそ行きのサンドイッチやクラッカーに載せて。

あ~!!たのしみ。

Kちゃん、おかえり~!楽しみに、贅沢に使わせていただくね。

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2009年6月 1日 (月)

そんなこんなで30年・・・

猛烈に忙しい数週間を送っていました。

先週、ついに30歳のお誕生日を迎えてしまいました・・・・お店。
「おめでとう」に値するかは怪しいところですが「ありがとう」の気持ちだけは皆様にお伝えしたかったのです。儲かりもせず、潰れもせず、ただただ、ひとえに楽しく仕事をさせていただいたことに感謝して。

何にも自慢できることのない店の唯一の自慢が、お客さまです。
有名人なんか来た事ないけど、客筋だけは胸を張れます。

ここに来て、夫の体調が思わしくなく、連日の病院通い。
私は私で、思いつきで記念品代わりのパウンドケーキを焼き始めて・・・・しまった・・・・・もう遅い。
結局、一週間、夜中に焼き続け、70本ほどのケーキをラッピングして、大方のお客さまに貰っていただきました。

勿論、まだまだ行き届くはずもないのですが、何となく気持ちが収まった気がしています。
もう少し、頑張らせてください。
皆様の応援よろしくお願いいたします。

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2009年1月 3日 (土)

明けましておめでとうございます

新年明けてより、(と言うより、年末から)ず~~~~っと、ハードな生活を続けておりましたら、やっと今日になって、自分のブログを開けてみる時間ができました。

・・・まぁ、時間というより、ゆとり・・・。
この歳になりますと、ここぞ!という「頑張り時」には何とか頑張れるのですが、その後のリハビリにえらく時間がかかるものでして、今日も、八時ごろのろのろと起きだしまして、今頃やっと体の疲れが抜け出したのを実感しているところでございます。

夫ともなれば、テレビの前で湯上りのまま放心しておりますから(ご心配には及びません、朝もしっかり食べた上、お餅を五個、おやつに軽く平らげて、そのまま居眠りしていたかと思いきや、夕方にはお腹が空いたと、夕飯を矢の催促)、私よりも更に通常モードに戻るのには時間が必要なようです。

元旦とは打って変わっていいお天気。
そう・・・元旦は大雪で、実家へ向かう高速は「全面通行止め」。
実家の料理番である私が遅れると、母がおろおろするだろうと思いながらも、安全運転で行くしかなかった・・・という、大変な幕開けでしたが、無事、子や孫たちが揃って大変な賑わいでした。

夫も、お正月は大変機嫌よく過ごしていたのですが、数日前から、坐骨が痛いと言い出し、今もまだ痛がっております。
多分、運動不足もあるのだとは思います。

我が家も、昨日、娘一家が年始に来てくれて、全ての年末年始の行事が無事、終了いたしました。
明日から、少しづつ体を慣らし、忙しい日常に戻っていきます。

今年はどんな一年になりますことですやら・・・多分、また全力で疾走することになると思います。
皆様、少々の疲れはお覚悟の上で、また一年、よろしくお付き合いくださいませ。

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2006年4月10日 (月)

同じ思いで・・

 福岡西方沖地震が大地をゆるがせたあの日、私は実家にいた。姉とふたりの道すがら買い求めた新鮮な食材で、いつものように、昼食の支度を始めたところだった。

 突然、足元が無気味な音を立てて揺れ始めた。揺れは水屋や鴨居をきしませながら次第に大きくなり、スリッパを履いたまま庭に飛び出し、やっと立っていた。

その日に限って気分が良いと、庭仕事用の椅子に腰掛け、草花に水をやっていた父が床の中にいたなら、救い出せただろうか・・・。

 テレビが福岡の惨状を映し出していた。やっとの事で夫と、娘一家の無事を確認するも、自宅が相当な被害を受けた事を知る。

 母は、煮炊きが出来ないかもしれないからと、すぐに食べられそうなものを包んでくれた。父は、今帰るのは危険だと言った。どちらもあり難い「親」の思いだった。

不気味な余震が続く中、実家を後にしながら、八十路の両親を残し、夫の元へ急ぐ自分と向き合ったら、涙が溢れた。

電話で謝る私に、母は「八十まで生きて、何が起きても思い残す事はない。それより自分の生活を守りなさい」と言ってくれた。私はこの「思い」に赤子のようにくるまれて、四十六年間、生きてきたのだ。何のお返しも出来ないけれど、ひとつだけ胸を張れる事があるとすれば、私もまた、同じ思いで、娘一家の幸せを祈っていること。

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2006年4月 7日 (金)

サチ子のさち

 仕事柄、たくさんの人と出会うが、お名前を伺うと、それぞれに、ご両親の深い思いが伝わってくる。
 若い頃、自分の名前に少し不満を抱いていた。他の兄弟はそれぞれに、意味深い名前を貰っているのに、末っ子の私だけがカタカナ。
 人柄を映したような素敵な名前の人に出会うと、寂しい想いをしたものである。
 私の名前にちなんだエピソードと言えば、海運業だった父が、当時所有していた船の名前が「幸丸」だった事。船名には縁起の良い名が多い。父が乗り継いだ船もそうだった。
 船は、瘠せた赤土の農地に見切りをつけ、海に活路を求めた父の全てだったのだろう。その名を貰ったと思うと、自分の名前に託された両親の思いが素直に嬉しい。
 一家を巻き込んだ父の夢も、二度のオイルショックで幕を閉じ、再び陸の人となる。その後、父はちいさな釣り舟を手に入れ「第二幸丸」と命名し、静かに釣りを楽しんだ。
 今ではその舟も廃船となり、代わって「つぐみ号」なる舟が繋がれている。
命名者は兄で、愛娘の名である。少々妬けたが、親の思いはいずこも同じと思うと、これまた素直に喜べる。
 両親からの最初のプレゼントは少し風変わりだったけれど、その名の通り、私は今もシアワセに暮らしている。

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2006年4月 4日 (火)

呪文のご利益

 庭先野菜のホウレンソウを買って茹でてみた。小振りだが驚くほど甘い。
 幼い頃、たとえ一切れでも、口中で強烈に自己主張する香味野菜が苦手だった。祖母は、ホウレンソウの茎の赤いところを「いちばん栄養がある」と前置きして、私の取り皿に入れてくれたが、いつも絶望的な気持ちで息を止め、丸呑みしていた。
 そんな私が「お年頃、お年頃。お年頃になったら、絶対美人になるぞ」という父の呪文にひっかかり、ニンジン、ピーマン、ホウレンソウを次々に克服していったのだ。先日、姉に「ホウレンソウが美味しいよ」と言うと「茎が苦手」という返事。
 幼い頃から端正な顔立ちだった姉には「年頃になったら・・」は通用しなかったようだ。
幸か不幸か、父の怪しい呪文を信じた少女は、さほどの偏食も無く今に至っている。
 果たして呪文の中身は父の切なる願いだったのだろうが、待ち焦がれた「お年頃」の実感も無いまま、とっくにトウがたった今も、未練たっぷりにお題目を唱えながら、ホウレンソウの茎を頬張っている。

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