夫はあんまり器用な人ではないが、「バナナの叩き売り」や「ガマの油売り」など、的屋のおじさん特有のあのしわがれ声で、独特の節回しも見事に呼び込みの口上を謳い上げる。
少年の頃、縁日で見た興行屋台や、大勢のさくらを引き連れた怪しい物売りに興味が尽きなかったらしく、大方は買ってしまって騙されたと気付くくせに、いつも最前列で食い入るようにその口上を聴いていたそうだ。
腕を腫らして“たまたま”通りかかったおじさんが、その薬を塗ってみてくれと頼む。そのありがたい塗り薬を的屋のおじさんが塗ってやると、あーらあら不思議、たちどころに腫れがひいていった・・。少年はますます夢中になってしまう。
そうして、一日の興行が終わるまで、少年は地面に引かれた線だけで仕切られた一番前の列で一部始終を見届けたのだった。なんと、先ほど腕を腫らして、たまたま通りかかったおじさんや、たくさん買い込んだおばさんまで一緒に後片付けを手伝っていたそうだ。不思議だったと言う・・・勘の悪い少年である・・・。
私の記憶に鮮明なのは、北九州、若松(多分?)の恵比寿神社。
私はその日、多分両親に連れられ、商売繁盛の福笹を持って縁日を楽しんだ。
帰ったら、笹にぶら下がったセルロイドの鯛や小判を外しておままごとに使おうと密かに企んでいた。
真っ赤な鯛に見とれていた私は、その先の黒山の人だかりに目を奪われた。「何?」と訊くと「見世物小屋」だと教えられた。
際どい色調の看板には、頭が二つある牛や、大きな蛇を纏った白い着物姿の女の人が描かれ、いっぺんに興味は鯛から蛇おんなに移った。
恐らく私から強請ったのだろう・・・。幼い子供を連れて見世物小屋を覘く親も親だが、その「目玉ショー」と言ったら、子供心に、看板の何十倍も強烈なインパクトを残した。
綺麗なお姉さんが(当時は確かにそう思った)目の前で生きた蛇を飲み込んでしまったのだ・・・・・・・・・・・・・。
髪型も憶えている。長いおかっぱ頭だった。まるでお茶酌み人形のような・・・。両親もまさかそんなことまでするとは思っていなかったのだろう。きっと子供だましだと思って連れて入ったのだと思う。私は急に手を引っ張られ小屋から連れ出されていた。
昨年だったか、その「お姉さん」のことが新聞に出ていた。「日本で、只ひとりの蛇おんな、引退」の記事だった。
年齢は推定・・と言うことになっていたが、七十過ぎまで現役だったらしい。最近では体調が思わしくなく・・・ということだった。そうだろう、あのさくらのおじさんにしても、このお姉さんにしても、まさに体を張って日本中を回っていたんだろうから・・・。
更に驚いたことに、引退したお姉さんに代わって、「小雪さん」というかわいい名前の新人が登場したと記事は締めくくっていた。
・・・世の中はよく解らない。
「お~っとぉ。は~い、ぼっちゃん、その線から入っちゃぁいけないよ~」。
夫も私も、幼い日の縁日はかなり強烈な思い出で彩られている。
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