2008年5月17日 (土)

バラマキ事件

小学校で過ごす一日の半分が平和に過ぎ、いちばんのお楽しみ、給食の時間に事件は起きた。
その日、給食当番だった彼はクラス全員分の春巻き約80本を教室に運ぶ役目。
・・・勿論何事も起きなかったなら、「皆で美味しく、いただきます」・・・となるはずだった。

その美味しそうな春巻きを、誤って廊下にぶちまけてしまったのだ。
いつもはひょうきんな彼の頭が、真っ白になったそうだ。

報告を受けた担任の先生はすぐに全館放送で「欠席などで残った春巻きを5年○組に届けてください」。

祈る思いで待ちかねた春巻きが続々と集まり、ひとり一本宛てではあったがなんとかみんなに食べてもらえた。

帰宅した彼は、ちょっと様子が変だった・・・・・。スイミングの帰り「毎月の進級試験の後にだけ」と決めているアイスを強請って叱られてみたり・・・。
妙にふてくされてみたり・・・。

夕食の時、弟が「今日、給食の時ね、校内放送で、クラスで余った春巻き、五年○組に持ってきてください・・って。○○君のお兄ちゃんがこぼしたって、友達から言われたよ」。

・・・・・・・・「僕、みんなにお手紙書こうと思う・・・」。
母は「思ってることを正直に書いてごらん。どうしても困ったらママも手伝ってあげるから」。

彼が書き上げた手紙はおよそこんな内容だった。

「先生とクラスのみんなへ・・・僕の不注意で春巻きをダメにしちゃってごめんなさい。
僕は頭の中が真っ白になってどうしていいか判らなかったのに、先生がすぐに校内放送で集めてくれたから、少しづつだったけどみんなに食べてもらえてよかったです。
それから、クラスのみんなが怒らずに『気にすんなよ!』って言ってくれたことがとっても嬉しかったです。ありがとう。
春巻きを持ってきてくれた全校の皆さんへ・・・皆さんが協力してくれたお陰で、みんなで給食が食べられました。本当にありがとう。これからはもっと気をつけます、ごめんなさい」。

母が手直しをすることもなく、彼の手紙は翌日クラスのみんなの前で読まれた。
みんなが拍手をしてくれて、彼はすごく嬉しかったそうだ。

その手紙は次の日の職員会議で読んでいただき一件落着したのだそうだが、後で先生から母親に連絡があり「転校生だけに、今回の件がイジメのきっかけになりはしないか、と校長が心配していたのですが、彼はいちばんいい形で責任を示したと思います」と言ってくださった。

一件、終わってみればたいしたことではないが、これから先、自分でしたことの責任をどう取るかで事態はどうにでも変わってくる、ということを彼は経験した。ドキドキして過ごした時間も、嬉しくて泣きそうになったことも、全てが彼を成長させてくれたと思う。
失敗を悔やむだけではなく、次へ活かすことを覚えたはずである。

ハルマキバラマキ事件は、彼の心にちいさな引っかき傷をつけ、爽やかな一陣の風を吹かせて、一件落着したそうな・・。

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2008年4月 3日 (木)

君に贈る皆勤賞

引越し荷物の搬入の間、孫ふたりを預った。
夫と私のスイミングスクールのレッスンメニュー表を見つけた孫が言った。
「ばあばたち毎日行ってんの?すごいね!僕たち週イチだけど、風邪を引かなくなったよ」。聞けば、すでにウォーミングアップで1キロ泳ぐそうだ。大分で暮らしたこの三年間での成長振りが眩しかった。
そしてこの春、また以前と同じ場所に戻ってきた。

当日、娘がこどもたちの成績表を持ってきてくれた。
よく頑張っているようだ。先生の所見でも、ふたりの個性を褒めていただき、感慨深かった。

残念だったのは、一年間、風邪も引かず元気に登校した筈の彼が、一日だけ欠席になっていたこと。
この日は私の父の葬儀に来てくれたのだった。曾祖父母は忌引きにならないのだと、この日初めて知った。切なかった。
あの日、娘は迷わず、ふたりのこどもたちを連れ、早朝の特急に乗り込んだ。
片道の移動に半日を要する距離なので、私は式が終わったら帰すつもりだったが、娘は「この子たちにおじいちゃんのお骨を拾わせたいの」と譲らなかった。

ばあばの大切なお父さんが逝ってしまうことを、こどもたちに感じて欲しかったのだと言う。
パパもママも、じいじもばあばも、いつかお別れしなければならない日が必ず来る・・・。
娘は、ひいおじいちゃんが彼らに寄せてくれた想いを、そして私の父への想いを、彼たちに解る言葉で伝えてくれた。

「欠席」と記されたあの日、ふたりのこどもたちはきっと多くのことを学んだ筈だ。頑張って臨んだ「皆勤賞」を棒に振って、余りある大切なことを・・・。
「最寄の駅に着きました」と娘からのメールを受け取ったのは午後九時半を過ぎていた。

記録には残らなかったけれど、私から君に、皆勤賞を贈りたい。心に刻んで残す皆勤賞を・・・。

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2006年7月12日 (水)

しれけなの秘密

毎月、新聞屋さんが届けてくれる野球冊子、孫たちが楽しみにしているので、果物やおやつと一緒に送った。翌朝、早速着いた旨の電話が入る。

一通り礼を述べた後、娘が小声になった。下の孫の七夕の願い事を楽しみにしていたら、意味不明な言葉が書かれていたのだと言う。彼の短冊の周りで揺れている願い事は、「かねもちになりたい」とか「めろりおんがほしい」とか、あらまあ・・・とは思っても、それなりに上手に書けているのに・・・。

一方、彼の願い事は「しれけなになれますように」。確かに意味不明である。おまけに反転文字まで混じっていて、母を泣かせてしまったらしい。家に帰って、「何て書いてるの?」と聞いても「こうちゃんにも、意味わかんなーい」とふざけるのだと、娘の落胆は思いの他深刻である。

電話口の母の様子が気になったのか、「めがねかけたばあば?」と聞いて、電話に出たがった。

「もしもし、ばあばあ・・・ほんとぜりー、ありがとう」。
「こうちゃんは、たなばたさまに何をお願いしたの?」と聞くと、「あのね、しあわせになれますようにって・・・」。

あの子らしい優しい声で答えてくれた。ああ、そうだ。いかにもあの子が言いそうなことだ。
それにしても、どうして「しれけな」なんだろう・・・。

きっと、先生が短冊を配るまでは「しあわせ」だったに違いない。幼児の日常会話に滅多に登場しない言葉を、緊張した彼はきっと度忘れしてしまったのだろう。オロオロするうちに周りのみんなが書き上げていく・・・。いよいよ慌てた彼は文字まで反転してしまった・・・。

娘も、なんとなくそんなことだろう、とは思っても、小柄で幼い彼が大柄でやんちゃな子に突き飛ばされたりするのを目の当たりにすると、親心はそう簡単には割り切れないのだろう。その晩、食事ができなかったらしい・・・。

おおらかに子育てしたいと願いながら、現代の複雑な環境の中で生き抜いていく術をも伝えていかなければならない親たちの苦悩が見えた気がした。

「幸せになれますように」。おそらく世界中の人々の切なる願いだろう。
彼の短冊はきっと天の神様の目にも留っている筈だ。

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2006年4月29日 (土)

リフレイン

このところ、頭の中でずっと「ゆりかごのうた」が流れている。
 娘の義兄夫婦に、待望の赤ちゃん誕生の知らせを受けてからだ。双子の男の子だそうだが、まだ彼等は保育器の中で、おかあさんのおっぱいをもらっているらしい。「管の中のおっぱいがいつの間にか無くなっているの」と、娘に知らせてくださるそうだ。

どうぞ健やかに。どうぞおおらかに。生まれたてのふたつの命に祈りつづける。

♪ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ♪

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2006年4月15日 (土)

分身

 上の孫が小学校に上がったころから、彼なりの社会で泳ぎ始めた。それに伴い、娘夫婦の子育ても一段と緊張感を増してきた。こどもの成長に応じた距離を保ちながら、導き、見守るのは容易ではない筈だ。

時々、「何度同じことを言わせるの」と、かつて私が言っていたことを、同じ口調で言っている。「諦めずに、何度も、何度も言い続けるのよ」。
夫が私に言った台詞で娘を諭す。

子育てに大切なのは、どんな時も「愛されている」という確信で満たしてあげる事ではないかと思う。

夫も私も、褒められた親ではなかったけれど、娘が傷ついたり悩んだりした時、夫は「お前はパパの分身なんだから、お前が泣くと、パパはもっと悲しいんだよ」と、言い続けた。気恥ずかしくてなかなか言えないような台詞を夫は本気で言い続けた。

「分身なんだ・・・」。その思いは、反抗期にあっても、彼女の心の道標になったと思う。
今、ふたりの子を持つ身になって、父の思いをかみ締めているかも知れない。
私は、そんなふたりを眩しい思いで見つめている。

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2006年3月24日 (金)

子は抱かれ

 「ママ、抱っこして」。七歳になる孫は時々、娘を見上げて甘い声でねだる。
普段、クールで通っている彼が、時折見せる一面である。
 娘が抱き上げようとするや、弟が突進してきて「こうちゃんも!」。娘は腰をおろして、ふたつの笑顔を抱きとめる。いつも「いいかげんにしなさいっ!」と、大声で叱られていても、甘えたい時はなんと言っても母の懐なのだろう。
下の子が笑いながら母の耳元で何か囁くさまは、うっとりするほどの幸福感に満ちている。
 満たされた笑顔を眺めていたら、ふと、河野愛子さんの「子は抱かれ/皆子は抱かれ/子は抱かれ/人の子は/抱かれて生くるもの」という歌を思い出した。私もこうして抱っこをねだったのだろうかと、遠い日に思いを馳せる。
 幼い頃、母は父の仕事を支えるため、父と共に家を離れていた。私の「抱っこ」に応じてくれたのは、祖父母や兄たちだった。てこずらせた事もあったはずなのに、記憶は一様に温かい。
孫たちとは時代も境遇も違うが、幼い心はしっかりと抱きとめられていたのだろう、私は今も優しさの記憶に包まれて生きている。
 子供たちの心を抱きとめた瞬間、周りの空気まで温めて流れるこの満ち足りた時間が、やがてこの子たちを強く優しく育て、守ってくれることだろう。
 

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