今では悪妻を自認している。多少の後ろめたさと居心地の悪さを乗り越えれば、「いい妻」でいるよりも随分と楽だ・・・。きっと家族も「もっと気楽にお洒落にでも気を遣ってくれたらいいのに・・・」そんな風に思っていたのかもしれない。
いつの間にか夫はひとりでは何にも出来ない人になってしまった。
私に料理の盛り付けや下処理の仕方を指南してくれた夫が・・・今ではお湯すら沸かそうとはしない。冷蔵庫の牛乳でさえ注いでもらうものだと信じている。これが「頑張り屋の妻」の産物だった。
ずっと、休日はゴルフで、一緒に出掛けることなんてめったになかった。寂しいと感じたこともあったのだろうが、諦めはいいほうなのか、こんなものなんだと思い込んで生きてきた。
ところがこの頃ではゴルフにさえ出掛けようとはせず、休日を所在無さげに過ごす夫に対し、散々ひとり遊びに慣れてしまった私はその相手役を上手くこなすことが出来ない。
こんな生活に慣れていないせいか、休日、そこに夫が居ることがなんとも落ち着かない。
今、私にはやりたくて仕方ないことがある。
情熱の冷めぬうちに、気力が萎えぬうちに・・・なんとしてもやってみたいことがある。
夫は仕事に情熱を感じられなくなった、と言う。そのことが、同じフィールドに立つ私には日々ストレスとなって覆いかぶさってくる。
私の仕事に対するスタンスやモチベーションは以前と少しもブレてはいない筈だ。むしろ進化している気すらしている。かと言って、夫を責める気は毛頭ない。本当だ。体力、気力の限界まで働いてくれたのだと思っている。
只、夫にも私にも「これから」のことを熟慮する責任がある。
その視点に立った上で、今の自分を活かしてやれる道を模索している。
食事中の話題に事欠くこともないし、プールにも仲良く日参している。決して仲たがいをしているわけではないのに、夫とはこの一点でとんと意見の一致を見ない。
来年、店は三十周年を迎え、私は五十歳になる。
潮時・・だと思っている。可愛がっていただいているうちに幕を下ろしたい。
そして、これからのふたりの人生を見据えて、新たなスタート台に立ちたい。この年齢で経験の無い世界に飛び込む・・困難は覚悟での決断である。
悪妻は百年の不作・・・そういわれても仕方がないな・・・そんなことを考えていたら、もやもやっとした頭の中に、最早手の付けようの無いほど荒涼とした荒地が広がった。「百年の不作」とはよく言ったものだ・・・。
思い留まるか否か・・・。
夫が言うように「このまま、やれるところまでやって・・・」私は新しい世界に飛び込む情熱も気力も使い果たして終わるのか・・・。結婚から今日まで、さしたる大きな選択を迫られることなく生きてきた人生に、初めて危機意識を以って迎えた秋が深まる。
最近のコメント